高見山・小錦・曙・武蔵丸~あの大相撲外国人力士の引退後と現在

 

画像出典:J-CASTニュース

白鵬をはじめとするモンゴル出身の力士達が相撲界に台頭するようになって長いですが、一昔前は外国人力士達が好奇なまなざしで見られることもありました。先駆者であった外国人力士達が命懸けで挑み続けてきたからこそ、今の相撲界があるといってもいいと思います。そんな外国人力士の先駆者達を振り返ってみます。

外国人力士の歴史

高見山(先代の東関親方)が外国出身の外国人力士として初の十両に昇進して、関脇にまで上がったのをはじめに、小錦が大関への昇進を果たして話題を集め、曙が外国人として初めて横綱まで上りつめました。

さらに武蔵丸がこれに続いて、兄弟横綱の若乃花・貴乃花が引退した後は、外国出身力士が横綱に在位して、2008年の初場所では朝青龍と白鵬(ともにモンゴル出身)が東西の横綱をつとめました。

2014年には、大相撲の歴史上初の白鵬・日馬富士・鶴竜の3人のモンゴル出身の力士達が横綱をつとめました。

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1990年代まではハワイ出身の力士が多勢を占めていましたが、2000年代に突入すると白鵬を皮切りにモンゴル出身力士が増えてきました。ハワイ出身の力士が活躍すると「黒船来航」と呼ばれました。また、モンゴル出身力士が活躍すると「蒙古襲来」と呼ばれました。

2000年中頃以降になると、ブルガリア出身の琴欧州やエストニア出身の把瑠都などのヨーロッパ出身の力士達が幕内の上位で健闘するようになりました。

外国人初の十両、関脇に昇進した高見山

画像出典:ケンオードットコム

現役中の1980年(昭和55年)に引退した後も相撲協会に残りたいと日本国籍を取得しました。日本名は渡辺大五郎を名乗り、引退した後は年寄・東関を襲名して、後に審判委員もつとめました。

東アジア圏(中国や韓国(朝鮮)など)出身の力士以外では、外国出身の力士として当時最高の地位で立派な働きをした力士であり、後の各国出身の力士(特にハワイ勢(ポリネシア勢))の快進撃の道を開きました。

アメリカ人らしい明るさと大きな体を持ち合わせて、古来の日本人のような辛い修行にも耐え抜く姿も印象的で、大相撲のファン以外にも大変な人気がありました。独特な長いもみあげが特徴的で、テレビコマーシャルにも出演するなど相撲以外でも活躍の場を広げていました。

小錦は自らスカウトした弟弟子で、弟子の曙を横綱にまで育てあげるなど、相撲界の国際化にも多大なる貢献をしました。大喜もハワイ出身の関取として育てた1人です。近いところでは、高見盛の師匠としても有名になり、師弟2代での人気スターとなりました。

日本相撲協会を2009年(平成21年)6月15日に定年で退職しました。往年の人気力士の定年でしたので、テレビでは大々的に報道されて、現役当時のVTRもたくさん放送されました。師匠の退職と同時に、同年5月場所で引退した弟子の潮丸が、「東関大五郎」を襲名して東関部屋を受け継ぎました。そのときに「またハワイ出身の力士を育てたい」と話したそうです。

定年後も単発でテレビに出ています。

 

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外国人初の大関に昇進した小錦

画像出典:KONISHIKIオフィシャルサイト

現役の引退した後は、取得していた年寄株を使用して年寄「佐ノ山」を襲名しました。日本相撲協会では1998年7月場所までの短期間ではありましたが、高砂部屋で親方として力士の指導にあたりました。

東京新聞の夕刊に連載していた「この道」は2007年6月まで続き、自分史に現役時代のエピソード(横綱昇進問題や南海龍事件など)を織り交ぜながら語っていました。そして、今後の目指す先として音楽プロデューサーへの道に進むことを明かしました。

ボランティア活動には現役中から関心が強く、阪神・淡路大震災の復興支援なども行いました。日本との文化交流やハワイの子供達への就学援助などのため「KONISHIKI基金」を1997年に設立しています。

横綱にまで上りつめることはできませんでしたが存在感や人気は横綱級でした。そして、相撲界の人気や地位を向上させた人格者でした。1992年4月から、曙が横綱に昇進した1993年2月まで最高位が大関の力士としてただ1人力士会の会長を横綱空位が要因で務めることになりました。

外国人力士の位置付けを大きく高めたことも、外国人初の大関となった小錦の存在がとても大きいです。

デビューアルバムとなる『KMS』を2000年3月に発表されました。このアルバムには歌詞が全曲英語のR&B・ヒップホップが収録されています。

アメリカのクリーヴランドを拠点として活動しているラップグループ「ボーン・サグズン・ハーモニー(en:Bone Thugs n Harmony)」のメンバーの「レイジー・ボーン(Layzie Bone)」とコラボした楽曲の「リビン・ライク・キングス」ではラップに挑戦しています。

最近も、小錦八十吉名義で『ドスコイ・ダンシング』を2010年5月26日に発売しました。その曲自体は現役力士時代だった1985年頃に作ったものでしたが、相撲に集中するために未発表曲となっていたそうです。

外国人初の横綱になった曙

画像出典:全日本プロレス

格闘家としてデビューした後、右腕にはローマ字で四股名のタトゥーが入っています。

横綱の土俵入りがデザインされたトランクスをはき、そのトランクスの腰のゴムバンド部分には奥さんとお子さんの名前の頭文字の「C」が4つ入っています。チームのユニフォームもTOKYO HIROがデザインを手がけたそうです。

プロレス参戦した後に「相撲の経験から前回り受身はできるけど、後ろ受身が苦手」と打ち明けたそうです。

格闘技については評価が分かれるところですが、プロレスでは師匠の武藤も「俺も天才肌と言われるが、本当の天才は曙だ」と評しています。K-1や総合格闘技で成績不振が続いたため「横綱の歴史から消えてほしい」と言われたこともあったそうで、なおかつプロレスデビューに関してはプロレスファンや関係者から「マケボノ」と本気で見下されたということで、全日本プロレスへ入団が決定したときはとても嬉しがっていたそうです。

格闘技やプロレスへの参入は大きな視野で考えると相撲の普及のためであるといっています。曙は「アメリカで相撲団体を作りたい」という目標も持っていて、K-1やWWEなどに参戦した理由の一つとして相撲の普及のための人脈作りだと述べたこともあります。曙本人なりに元横綱の使命を感じていて「相撲をわかっていない人がしたら、単なるスポーツになってしまう」と元横綱の自分が格闘技での成績不振やプロレスでの迷走をためらわないわけとしています。

横綱にまで昇進した武蔵丸引退した後は?

画像出典:福岡市

引退した後は、年寄・武蔵丸として武蔵川部屋で後進の指導にあたっていました。

横綱は引退後の5年間現役時代の四股名で一代年寄として活動できるという制度を利用していました。

「問題がいろいろある相撲界で、何か自分に力になれることはないかと考えるようになったからだ」と翌日付の東京中日スポーツに掲載されたようです。引退から5年経過した同年11月場所中に全年寄の序列最下位となりました。借り株での襲名だったために委員待遇を解かれてのことでした。

2012年8月30日に3代目大島親方となりました。停年退職していた旭國斗雄が所有している年寄名跡「大島」へ名跡変更することが承認されたからです。

2013年2月4日に年寄・武蔵川を襲名、先代の武蔵川親方の停年退職により年寄名跡「武蔵川」を取得したからです。同年4月1日付で事実上の再興となる武蔵川部屋を独立して師匠として後進の指導にあたり、その際に内弟子と床山1人を連れていっています。ちなみに部屋の弟子の武蔵国は実の甥にあたります。

小錦らが所属するKPという芸能事務所に所属して「武蔵丸」としてタレント活動も行い、デイリースポーツの相撲評論家を2010年からつとめています。国技館からすぐ近くにあるJR両国駅に、師匠・三重ノ海の優勝額がありますが、大関時代の優勝額を寄贈し一緒に展示されています。

【まとめ】

4人の人気者力士ですが、角界のしきたりなどの中必ずしも引退後は順風満帆というわけではなかったようです。
それでも、4人が4人のやり方で引退後もファンの前に顔を見せたりしてくれたのは、とてもうれしいですよね。

ますますのご活躍をお祈りしています!

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